ポジティブに心を壊された

ごわごわした気持ちの捨て場所

子供の頃から植え付けられたポジティブへの脅迫概念

子供の頃から朝に放送されるアニメや夕方放送される子供向けアニメを見て過ごしてきました。親が手を離せないときはビデオでアンパンマンを再生。

そのアニメの中では積極的であること、失敗を恐れないこと、友達を作ることが「いいこと」と語られるのです。

加えて親がネガティブ人間なので子供にはポジティブでアクティブ、フレンドリーになって欲しいというメッセージを日常に盛り込んでくる上で、神経質で効率を求める、加えて他人の目を気にする親でした。ようするに過保護なのです。
私は人前で失敗することを怖がり人といるのがおっくうな親のように根暗な人間になりました。

そんな私を見て親が、私が明るかったら貴方も明るくなったのかなと呟いてくるわけなんですが元々子供の頃にディズニーのあらゆる刺激に驚き泣き続けるような物静かな環境の方が合う人間だった上にあまりに出会いの運がないのか地雷を踏み続け人嫌いになり、むしろポジティブであることを求められるたびにモヤモヤした心境になるようになったのです。

小学校高学年頃にはポジティブでないし何やっても下手な私は嫌われて当然という感覚がありました。

自己啓発本を見るたびに自己否定に包まれる私にはポジティブシンキングな言葉=うつ、イライラする言葉になりました。

ポジティブアレルギーというよりポジティブノイローゼなのかもしれませんね。

ポジティブアレルギーの話

ポジティブアレルギーの話題にポジティブ アレルギーで検索して行き着いた人です。

親がね、ポジティブなりたいウーマンの超ネガ系と、自分が明るく面白い存在と言わんばかりに吐くことがモラハラ発言マンだったんですよ。

ポジティブって本来は人を支えるための存在だったはずなんですけどね、このこじれたポジティブだらけの家庭が振るうポジティブってもうただの人格否定なんですよ。

現状がいじめで対人恐怖症になってても、世の中いい人もいるとかね、気にしすぎとかね、何を言ってるんだと。

人から危害をくらったって「事実」すら見ようとしない。信じて前を見てるような雰囲気出しながら頭のお花畑の中だけ見てる。
それなのに私は現実見て貴方を支えてる風にするわけ。いじめ加害者の名前を知っててその人を褒めだしたり、私に対して人を悪く言うなとか被害者ぶってるとか可哀想な人とか言ってくるし(私がくらった暴言とかには気にしすぎとか幻聴って言い出す)

人に優しくと言いながら私には阿呆みたいに厳しい。親が子供に厳しくするのはとかそういう話以前に、人様を敬うためならどんな矛盾でも行使する。言動バラバラなんですよ。

これでポジティブ嫌いにならないならそれはただの無神経だと思っている。

私はもうテレビも見れないし音楽も歌詞があると嫌で見れないし、今もインターネットで体調不良の原因を検索して出てきた「前向き」って単語にイライラしてる。

ここまでありふれた言葉を嫌わなきゃいけなくなったのは自分でも悲惨だと思う。だけど人格否定で使われるような言葉を好きになれる人なんているものなんだろうか。

ポジティブアレルギー独特の悪夢

母のモラハラに気づいてから、夢に母が出るようになった。

私の夢にはいつも嫌いな人間しか出ない。

 

前向きになりなさい!他人を許しなさい!

過去を振り返るんじゃない!

 

いじめに合っている現状というのを放置した母が、

昔のどうにも出来ない仕方のないことという風に、

私が悪いと責め立てる声が響く。

 

私の悪夢はそんな自己啓発本のタイトルのような発言で出来ている。

言い返そうとすると最初に言おうとした一文字目を叫びながら起きていた。

前向きで建設的な発言

前向きって言葉の時点で他の考えを潰してるし、

それなのにちゃんと積み上げられるのって思う。

 

 

啓発という現状否定中毒を起こす人、起こされる人

はてなのトップにたまに炎上商法のブログが上がることがある。

何かをタイトルからして叩くスタイルだったりとか、

上昇志向も甚だしい記事がぽっと出ることがある。

これを非表示出来たらどれだけいいだろう。

 

私はそんなことをたびたび思う。

なにせタイトルから罵声を浴びせてくるのだ。

何故オフィシャルサイトから罵声を視界に入れなくてはならないのか。

上昇目的とか啓発目的は本当に危険だ。

 

何故なら彼らは気持ちの問題、やる気の問題で、

簡単に人を切り裂いてくるからだ。相手がどうであれだ。

 

やる気、その気、気持ちの持ちようというのを、

まるでロボットのように操作出来ると思っている。

それが出来なければ欠陥だと叩き潰す。

 

リハビリに来て歩こうとしてる足が走れなかったら、

それを押し倒して腕を骨折させようというくらいの攻撃性がある。

 

気がつけば見下す方向、脅す方向に向かっていく。

出来ない奴はそのまま潰れろと力いっぱい踏みつけてくる。

まるで本当に人を見下す為に人と関わろうとしているのである。

人と慣れる為の場所に、時に、専門の人を探して、

そんな加虐的に動く人間を難度も目の当たりにした。

 

そうでない支援者と会うまでを、私達は求められている。

そして支援者と赤の他人は探す努力が足りないとさらに叩く。

 

いい人、いい人間、人間性のある人間。

そんなのどこにいるんだろうか。

はてなブログを見ると、そのことを思い出す。

自称支援者はなるべく外に出そうとするが、

信用出来る外というのは、

そういう空間にはむしろないかもしれない。

 

 

自己啓発も、成長も求められずに、落ち着いて生きる時間。

それを私は一秒も作られたことがあった気がしない。

 

子供の頃は子供らしい活発さと積極性、やる気。

それと同時に誰の足も引っ張らず迷惑をかけない人間。

動くほど失敗はつきものだが、失敗出来る場所が、

今まで一度もなかった人間はどれほどいるのだろう。

 

自分のようにリラックスするための深呼吸に、

良くならなくてはというプレッシャーを感じ、

過呼吸になる人は世間にどれだけいるんだろう。

 

自分は少数派だ。少数派は負け組になりがちだ。

ただその自称中立者が実は多数派の王様ぶって、

少数派を嬲ろうとしてくるのである。

 

これから自分か子供か誰向けかはわからないが、

現状をどうにかしようと闇雲に駆け込むのには用心して欲しい。

 

何故なら外には出れていたのが出れなくなったとか、

医者に恐怖心を植え付けられて関係ない科にも行けなくなったとか、

そういう潰しを食らうと八方塞がりになるからだ。

当たって砕けろと人は言うが、その人は先が気になるだけで、

言った本人の幸せなんて微塵も考えていないのだから。

 

本当にトップページのブログを非表示出来ないかな

誰の理想にも歩み寄れないけれど

私が死にたいって思う時は自己逃避したい時らしい。

旦那さんはなぜか人の考え方を想像するのが上手い。

私の脳みそがどんなもんか想像がつくらしい。エスパーみたいだ。

 

 

ただ私の逃避の仕方は全く上手ではない。

昔は何を見るわけでも買うわけでもなく夜道を歩いていた。

 

 

親の許可を得る行為がなんとなく嫌で、

靴を持って二階の自室からウッドデッキ、塀から道路。

きままな猫のようになろうという茶目っ気と、

ここで死んでしまってもいいという軽はずみ。

 

冬のひんやりとした夜風の浴びながら、

景色を見るわけでもなく妄想をしていた。

 

もしここで警察に合ったら、もしここで不良に絡まれたら、

誰かにさらわれてしまったら、事故にあってしまったら、

自分に傷がつく想像をする。道に迷うことも気にせず歩く。

夜は危ないという一言から妄想をふくらませる。

 

耳元でJ-POPではなく、アニソン。明確に言えばキャラソン。

歌詞は病んでいるものをチョイスする。

他のものは当てつけみたいで聞きたくなかった。

それを脳みそを殴りつけるように、何も思い出さないように、

大音量にして練り歩いていた。

 

いつの間にか二駅先に来たら満足して帰っていた。

2時間は歩き続けた。体力はないがまぁまぁ歩けたはずだ。

 

 

そんなこともあってか、今を生きるのがとても苦手だ。

降りかかる言葉と過去に積み重なった言葉が頭を回る。

人の声を聞くのにもとても弱くなった。

女子小学生の笑い声にびっくりして、

少しの時間硬直してしまう程だ。

 

今はもうなんとなく歩く先もわからず、

出ようとしたら旦那さんに足を掴まれるので、

こうして文字を並べる作業をしている。

 

私は自分がどうしたらいいかわかりません。

指示を貰いに行ってたこともありますが、

指示の大半をそのとおりに出来ず、

いろんな人に嫌われていました。

 

なので自由に出来る力がなく、好きに歩けない今が、

自分の非力さで悲しくなることがまだたくさんあるけれど、

何かになることを望まないでいてくれる。

焦る足を掴んでくれる人がいるこの場所がやはり好きなのです。

スマホがないと耐えられない

スマホの電池が切れそうだ。
寝室で寝ながらパソコンをするこの家は夜に音を立ててはいけない。
コードが充電機からパソコンに繋がれてしまっているが、抜くわけいかない。
寒い季節には布団の中以外に長居できる場所がない。
そもそもパソコンを使えないので何もないのだ。
私は自分の脳みそとその中の記憶に付き合うことにかなり疲れている。
脳みそをかき回しても死にたいに至る病である。

とはいえ楽しい妄想をふくらませるのもスマホあってのことだし、
それを書き留めるのもスマホ担当。
自分の寂しい夜を慰めてくれるのも長年スマホ

夜を歩くのに音楽聞くのもスマホ
残量10%に恐れながら歩くのは辛い。

自分からにげたくてにげたくてしょうがない。