ごわごわした気持ちの捨て場所

発達障害者の遺言、黄色のシャツが嫌い

脳への万力

笑おうと思って笑ってはいない。
泣こうと思って泣いてもいない。
だけど私は笑ってる自分は偽物で、泣いてる自分は本物な気がしてくる。

人は私に笑えと、明るくなれという。
そして泣くな、落ち込むなともいう。
笑うときに、ここで笑うといいんだっけと居心地の悪さを感じる。
笑いそうなとき、ここで笑ってはいけないのかなと不安になる。
泣くのは自分の本心から、嫌でも溢れ出てくるものなので、信じられる。
笑うのは、誰かの目を気にしての偽物かもしれないと思う。

お金を貸しても友情は補強されないよ

昔、同じ発達障害持ちだった人と喧嘩別れしたことがある。

発達障害と一口に言っても何に過敏か、鈍感か、出来るか、出来ないかは全く違う。
喋らない人もいれば、傷つく言葉を無意識に言う人もいる。
他の障害と併合してるかどうかでも変わるし、働ける、働けないもあり、働けないの部分の理由も様々である。

彼女と出会ったのは高校の頃である。非常に不器用ですぐに足手まといになる私に、彼女はとても優しかった。
仲の良い相手なら気配りは非常にするし、積極的に人を知ろうとする熱心な人だった。
私はすぐかんしゃくを起こし何かを上達させる過程に耐えることが出来ないので、いろいろなことに詳しいし手を出せる彼女を凄いと思った。

発達障害に見えないというのは、わかりづらいからこそ傷つく理由になるので悩ましい言葉ではあるが、彼女は人並み以上の気配りをしていたのは確かだった。
私より何かが出来た。そのかわりに彼女は積極的に何かをしたがったし、障害手帳の級も軽いんだと聞いた。
高校で精神を病み、卒業後のデイケアでは医者から暴言を食らって医師不信になり、かつての医者に移ると彼女と久々に出会った。

大学生になり結婚する相手を見つけ、結婚したら大学やめてここから遠くに暮らすという彼女と私は再び連絡を取るようになった。

大学に通ってる彼女からいろいろな話を聞いた。楽しそうだったし、自分でサークルを作って居場所を作ったという彼女は非常に活力的だった。
疑心暗鬼がデイケアで悪化した私は見てるアニメの話やネットの話を共有する以外はすっかり辛気臭い日常しかなかったのだが、彼女はそれを聞いてくれた。
私の親が相当なモラルハラスメントをしてることが明らかになったので彼女は恩人である。

そして発達障害同士だというのでその関係も話した。肌が過敏とか、臭いが敏感でこんな臭いが苦手とか、人が少ない場所は落ち着くなんて話をした。電話だけの関係は細く長く続くと当時思っていた。

そんなある日喧嘩をした。彼女が金欠になり不安定だった。
私の家庭はかつて浪費家であった時代もあったが、友人はそれよりも金払いがよかった。結婚した旦那さんがいっぱい買ってくれるのかなと思っていた。

その後節約を始めたとは聞いていたが、節約ネタと共に食べ物や買い物の報告もパラパラあった。
そんな友人が死にそうだとこぼしているので、本格的に節約してはどうだと言うと「楽しみもしないと耐えられない」と言い、死んでは困るとそれなら年金をの話を出すとさらに火に油を注いでしまった。

ここから言い合いになった結果、彼女と私の違いは発達障害であることを知る時間差であることを聞くことになった。

当時まだ名前が出るようになったばかりの彼女は病院をたらいまわしにされたり、診断されると親から発達障害だから駄目な子だと断定されたり、普通であることを求められて苦しんできたという。
診断をされたが認めることにとても苦しんでいるようだった。
貴方にはその苦しみがわからないでしょうと彼女は言った。

私は彼女からよく似ている、似ていると言われていたが、喧嘩をする時は違うんだねと言われる。
私は器用な彼女を前に、そんなことないと返してきたが、いざそう言われると悲しいものだった。
うつで教師に言われるがまま障害手帳を取得した私と彼女とではその間に受ける悲しみはまた違っただろう。

普通であることを求められる苦悩は私も同じだった。普通から外れていることで家族にも自分を受け入れられない孤独もあった。発達障害の名も知らぬまま、病院に連れて行くと脅され、捨てないでと大泣きすることもあった。

全く同じ苦労を背負う人間はいないし、わかった気になるのもよくないというのは頭に入れていたので、返す言葉が上手く見つけられなかった。パニックになった彼女は連絡を立ち、夜中になっても連絡がこない彼女に痺れを切らして、私が電話したら絶縁になった。ようは私が最後の原因である。

夜中に電話した私が悪かったのは確かにマナー違反だが、あの後一言の連絡もないことに私は腹が煮えくり返り不眠を起こす程耐えられなかったのだ。不快にさせたのは私が原因とはいえ「熟睡してたのに、眠れないのはそっちの問題でしょ」「喧嘩した程度でこんなんじゃやってられない」と言われたのには流石にショックを受けた。
喧嘩した程度というのは第三者が他人事のように口にするような言葉であって、相手から言われるとは信じられなかったのである。おまけに金欠の話を持ち込んできたのも棚に上げ、人間関係殴り合い前提のような言いようをされると私もわかった、ごめん、おやすみなさいとしか言いようがなかった。

私は彼女との連絡が繋がってる携帯は持ち歩かず、新しい携帯を持つようになった。
あれから彼女からの返信はなく、裏では金を取り戻したのか実家の方までフライトしてたようである。

彼女の親も毒親だと本人が話してたが、その相手にも礼儀正しいことである。母と同じ金を返さない人にはなりたくないと言っていたが、その母を尊重して金を使ってるので、貸した金の返金は諦めた方がいいのかも知れない。

距離も離れて顔も合わせない付き合いではあったので、彼女の先を考えると私との関係は確かに必要ないし、いい金稼ぎになったかもしれない。

私は毒親の洗脳により友人を作らなくてはいけない脅迫を抱えていたが、金銭的実害を最後に流石に友達作りはやめることを誓い、送金の紙を洗脳の声に御札のごとく貼り付けるのであった。

母に愛を教えなかった祖母

私は宗教が嫌いだ。
宗教は家族を奪う。
家庭で循環させる愛情を奪う。

無限の博愛の精神があると思い込ませ、
万人に対して温かな心があると自惚れさせ、
そして自らが神になったかの如く他人を見下す。

神の教えを人を支える為でなく、断罪する為に利用する。
神話の様々な愛憎劇には目を瞑り、無垢であることを自他共に要求する。

母からは娘として置いてもらってはいたが、人としては心底嫌われていると感じながら過ごしていた。

それもそのはず。母は人でなく架空の聖人しか見てこなかった。無垢なのではなくただの無知だった。
それは島ぐらしだったのが悪いのが、土日の片方を礼拝の犠牲にした生きてきたのが悪かったのか。

母は生まれてすぐに親に入信させられた。
嫌々早起きして礼拝に向かい、逃げ出したら恐ろしく今までにないほどに怒られたらしい。
しかし朝食はパン一枚のみで貧相なものだった。
私が母に聞いた祖母の話はそんなものだ。
そんな話を一言を呟くものの、母はなるべく汚い気持ちとされている物に目を瞑ろうとする。
そして家族にもそれを強要した。

父は内面の話こそ一切しないが母との会話をすぐ切り上げたがり
「そうするよ」「こっちにしとくから」
と無視したり従って立ち去る。

私はその内容の理不尽さ、聖人のような心を対人恐怖になった時にさえ要求され、散々言い合いをした。
私が追い詰められて過呼吸を起こしたり、私のかんしゃくで母が折れたり、母が拗ねるので私が折れたり、母がキレて物を投げたり、物に当たったり、暴言を吐いたり手を出してきたりした。
パワーゲームになっていた。

妹はそんな家族を見てきたのでなるべくテレビに熱中して、母との会話はあまりしない。おおむね父親との会話、あるいは私とテレビで見たものを語り合ってた。
妹は私の頃に比べると父が丸くなってる時期が来てるので不信感があまりないのかもしれない。
旦那曰く妹は相当なぶりっこを家族(私含む)にしているらしく、夫には全く反応が違ったらしい。

他人を優先することばかり教えて、家族間の愛情の伝達を疎かにした祖母による毒は今、私の夫婦関係にも染み渡ろうとしている。

家族に自分そのままを許されなかった私は、楽しいと思うことが下手らしい。
そういえば祖父は無言、無表情だった記憶がある。叔父は統合失調症になってしまった。
叔母は相当こじらせているらしいが、同じ長女として生まれ、妹を見てきた私には、それが何故かわかる気がした。

宗教を引き連れてきた諸悪

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

 

母は気がおかしい。気付いたのは夫の指摘。

癇癪持ちの私は家の中で私だけがおかしいのだと思っていた。

しかし私は影で母をどこかで気持ち悪く思っていた。

異様な善意、規律正しさ、他者への信頼。

そのわりに他者と抱えるストレスをいつも抱えていた。

外を見る母はいつもそんなもので出来ている。

 

人を何より優先する母は、娘の私にもホテルマンのような完璧さを求めた。

理不尽な子供同士の関わりでさえ厳しく求めてくるものだから、

私は人のことが億劫で、卒園した頃にはゲームだけしたい子になった。

母を人を関わらせない方がいいと、子供ながらに思った。

しつけ、口調が異常に厳しくなり、慌てふためき、

それでも他者に優しい母を見ると、家族以外のすべてに妬みを感じてしまう。

母も自分も嫌だった。今もその母の気質を受けている自分も母も嫌いだ。

 

私は母の聖書を開いたことがある。

そこには「誰かを絶対に責めてはいけないよ」

一行で言うとそんなことを誰かが書いた紙が挟まっていた。

私は真っ先に母の異常さはこれのせいだと思った。

 

そのきっかけは神父なのだろうが、

教会に連れて行った祖母の影響が大きい。

子供だったので像に延々と話しかけている祖母はただ不気味だった。

母は子供の頃から宗教へのストレスを抱え、教会には全く近づかない。

しかし無意識のうちに母は宗教により極端な価値観を持つようになった。

 

 

私も妹も、PTSDを持っている。

当時に抑圧された、あるいは処理しきれなかった傷が、

PTSDを起こすようになるのだという。

 

母はけして加害者を否定しなかった。

私たちの母であることより、家族を守ることより、

人々の菩薩であることを選んだ。

私たちには気の持ちようだとしか言わなかった。

 

人への不信感を抱えた私の気持ちを否定し、

人を信頼するよう、歩みよるようにとただ言うだけだった。

私だけでなく、歳の離れた妹相手にも、母は同じことをした。

 

そしてフラッシュバックを起こすと、

昔のことじゃないと飽きられ、怒鳴られ、

「可哀想な人」と憐れむように見下された。

 

母をここまで理不尽な言動にさせたきっかけが聖書にあると思うと、

あのおばあちゃんを敬おうなんて私は思えない。

 

私は本当はその聖書をその場で引き裂いてやりたかったが、

本自体は他人の私物なので逆さまに本を戻すだけにした。

幻聴なのか、違うのか

時間が余ると「てきぱき動け」「努力しろ」

失敗すると「失敗を認めろ」「治せ、よくなれ」「落ち込むな」

大声に驚いて聞くと「見習え」「お前もこれくらい明るくなれ」

辛くなると「逃げるな」「我慢しろ」「逃げたら一生不幸だぞ」

 

私の頭の中の声は松岡修造のようなことを言う。

ただ励ますため、支えるためではなく、

焦らせる、落ち込ませる、怖がらせる、苦しませる目的だ。

何を?どうやって?という内容は一切言わず、

ただそれこそ正義なんだと言わんばかりに単語を投げつける。

 

言葉のきっかけは母親だ。

通知表には毎度自信をつけて欲しいと書いていた。

神経質で完璧主義な母親と皮肉屋な父親と過ごした私は、

無意識に自信が持てなくなっていた。

過干渉な目を前にしての行動は常に恐怖だった。

 

しかし母の声で再生されているわけではない。

これは誰なのか。

 

子供の頃から植え付けられたポジティブへの脅迫概念

子供の頃から朝に放送されるアニメや夕方放送される子供向けアニメを見て過ごしてきました。親が手を離せないときはビデオでアンパンマンを再生。

そのアニメの中では積極的であること、失敗を恐れないこと、友達を作ることが「いいこと」と語られるのです。

加えて親がネガティブ人間なので子供にはポジティブでアクティブ、フレンドリーになって欲しいというメッセージを日常に盛り込んでくる上で、神経質で効率を求める、加えて他人の目を気にする親でした。ようするに過保護なのです。
私は人前で失敗することを怖がり人といるのがおっくうな親のように根暗な人間になりました。

そんな私を見て親が、私が明るかったら貴方も明るくなったのかなと呟いてくるわけなんですが元々子供の頃にディズニーのあらゆる刺激に驚き泣き続けるような物静かな環境の方が合う人間だった上にあまりに出会いの運がないのか地雷を踏み続け人嫌いになり、むしろポジティブであることを求められるたびにモヤモヤした心境になるようになったのです。

小学校高学年頃にはポジティブでないし何やっても下手な私は嫌われて当然という感覚がありました。

自己啓発本を見るたびに自己否定に包まれる私にはポジティブシンキングな言葉=うつ、イライラする言葉になりました。

ポジティブアレルギーというよりポジティブノイローゼなのかもしれませんね。

ポジティブアレルギーの話

ポジティブアレルギーの話題にポジティブ アレルギーで検索して行き着いた人です。

親がね、ポジティブなりたいウーマンの超ネガ系と、自分が明るく面白い存在と言わんばかりに吐くことがモラハラ発言マンだったんですよ。

ポジティブって本来は人を支えるための存在だったはずなんですけどね、このこじれたポジティブだらけの家庭が振るうポジティブってもうただの人格否定なんですよ。

現状がいじめで対人恐怖症になってても、世の中いい人もいるとかね、気にしすぎとかね、何を言ってるんだと。

人から危害をくらったって「事実」すら見ようとしない。信じて前を見てるような雰囲気出しながら頭のお花畑の中だけ見てる。
それなのに私は現実見て貴方を支えてる風にするわけ。いじめ加害者の名前を知っててその人を褒めだしたり、私に対して人を悪く言うなとか被害者ぶってるとか可哀想な人とか言ってくるし(私がくらった暴言とかには気にしすぎとか幻聴って言い出す)

人に優しくと言いながら私には阿呆みたいに厳しい。親が子供に厳しくするのはとかそういう話以前に、人様を敬うためならどんな矛盾でも行使する。言動バラバラなんですよ。

これでポジティブ嫌いにならないならそれはただの無神経だと思っている。

私はもうテレビも見れないし音楽も歌詞があると嫌で見れないし、今もインターネットで体調不良の原因を検索して出てきた「前向き」って単語にイライラしてる。

ここまでありふれた言葉を嫌わなきゃいけなくなったのは自分でも悲惨だと思う。だけど人格否定で使われるような言葉を好きになれる人なんているものなんだろうか。