誰の理想にも歩み寄れないけれど
私が死にたいって思う時は自己逃避したい時らしい。
旦那さんはなぜか人の考え方を想像するのが上手い。
私の脳みそがどんなもんか想像がつくらしい。エスパーみたいだ。
ただ私の逃避の仕方は全く上手ではない。
昔は何を見るわけでも買うわけでもなく夜道を歩いていた。
親の許可を得る行為がなんとなく嫌で、
靴を持って二階の自室からウッドデッキ、塀から道路。
きままな猫のようになろうという茶目っ気と、
ここで死んでしまってもいいという軽はずみ。
冬のひんやりとした夜風の浴びながら、
景色を見るわけでもなく妄想をしていた。
もしここで警察に合ったら、もしここで不良に絡まれたら、
誰かにさらわれてしまったら、事故にあってしまったら、
自分に傷がつく想像をする。道に迷うことも気にせず歩く。
夜は危ないという一言から妄想をふくらませる。
耳元でJ-POPではなく、アニソン。明確に言えばキャラソン。
歌詞は病んでいるものをチョイスする。
他のものは当てつけみたいで聞きたくなかった。
それを脳みそを殴りつけるように、何も思い出さないように、
大音量にして練り歩いていた。
いつの間にか二駅先に来たら満足して帰っていた。
2時間は歩き続けた。体力はないがまぁまぁ歩けたはずだ。
そんなこともあってか、今を生きるのがとても苦手だ。
降りかかる言葉と過去に積み重なった言葉が頭を回る。
人の声を聞くのにもとても弱くなった。
女子小学生の笑い声にびっくりして、
少しの時間硬直してしまう程だ。
今はもうなんとなく歩く先もわからず、
出ようとしたら旦那さんに足を掴まれるので、
こうして文字を並べる作業をしている。
私は自分がどうしたらいいかわかりません。
指示を貰いに行ってたこともありますが、
指示の大半をそのとおりに出来ず、
いろんな人に嫌われていました。
なので自由に出来る力がなく、好きに歩けない今が、
自分の非力さで悲しくなることがまだたくさんあるけれど、
何かになることを望まないでいてくれる。
焦る足を掴んでくれる人がいるこの場所がやはり好きなのです。