ごわごわした気持ちの捨て場所

発達障害者の遺言、黄色のシャツが嫌い

啓発という現状否定中毒を起こす人、起こされる人

はてなのトップにたまに炎上商法のブログが上がることがある。

何かをタイトルからして叩くスタイルだったりとか、

上昇志向も甚だしい記事がぽっと出ることがある。

これを非表示出来たらどれだけいいだろう。

 

私はそんなことをたびたび思う。

なにせタイトルから罵声を浴びせてくるのだ。

何故オフィシャルサイトから罵声を視界に入れなくてはならないのか。

上昇目的とか啓発目的は本当に危険だ。

 

何故なら彼らは気持ちの問題、やる気の問題で、

簡単に人を切り裂いてくるからだ。相手がどうであれだ。

 

やる気、その気、気持ちの持ちようというのを、

まるでロボットのように操作出来ると思っている。

それが出来なければ欠陥だと叩き潰す。

 

リハビリに来て歩こうとしてる足が走れなかったら、

それを押し倒して腕を骨折させようというくらいの攻撃性がある。

 

気がつけば見下す方向、脅す方向に向かっていく。

出来ない奴はそのまま潰れろと力いっぱい踏みつけてくる。

まるで本当に人を見下す為に人と関わろうとしているのである。

人と慣れる為の場所に、時に、専門の人を探して、

そんな加虐的に動く人間を難度も目の当たりにした。

 

そうでない支援者と会うまでを、私達は求められている。

そして支援者と赤の他人は探す努力が足りないとさらに叩く。

 

いい人、いい人間、人間性のある人間。

そんなのどこにいるんだろうか。

はてなブログを見ると、そのことを思い出す。

自称支援者はなるべく外に出そうとするが、

信用出来る外というのは、

そういう空間にはむしろないかもしれない。

 

 

自己啓発も、成長も求められずに、落ち着いて生きる時間。

それを私は一秒も作られたことがあった気がしない。

 

子供の頃は子供らしい活発さと積極性、やる気。

それと同時に誰の足も引っ張らず迷惑をかけない人間。

動くほど失敗はつきものだが、失敗出来る場所が、

今まで一度もなかった人間はどれほどいるのだろう。

 

自分のようにリラックスするための深呼吸に、

良くならなくてはというプレッシャーを感じ、

過呼吸になる人は世間にどれだけいるんだろう。

 

自分は少数派だ。少数派は負け組になりがちだ。

ただその自称中立者が実は多数派の王様ぶって、

少数派を嬲ろうとしてくるのである。

 

これから自分か子供か誰向けかはわからないが、

現状をどうにかしようと闇雲に駆け込むのには用心して欲しい。

 

何故なら外には出れていたのが出れなくなったとか、

医者に恐怖心を植え付けられて関係ない科にも行けなくなったとか、

そういう潰しを食らうと八方塞がりになるからだ。

当たって砕けろと人は言うが、その人は先が気になるだけで、

言った本人の幸せなんて微塵も考えていないのだから。

 

本当にトップページのブログを非表示出来ないかな