ごわごわした気持ちの捨て場所

発達障害者の遺言、黄色のシャツが嫌い

ポジティブアレルギーの話

ポジティブアレルギーの話題にポジティブ アレルギーで検索して行き着いた人です。

親がね、ポジティブなりたいウーマンの超ネガ系と、自分が明るく面白い存在と言わんばかりに吐くことがモラハラ発言マンだったんですよ。

ポジティブって本来は人を支えるための存在だったはずなんですけどね、このこじれたポジティブだらけの家庭が振るうポジティブってもうただの人格否定なんですよ。

現状がいじめで対人恐怖症になってても、世の中いい人もいるとかね、気にしすぎとかね、何を言ってるんだと。

人から危害をくらったって「事実」すら見ようとしない。信じて前を見てるような雰囲気出しながら頭のお花畑の中だけ見てる。
それなのに私は現実見て貴方を支えてる風にするわけ。いじめ加害者の名前を知っててその人を褒めだしたり、私に対して人を悪く言うなとか被害者ぶってるとか可哀想な人とか言ってくるし(私がくらった暴言とかには気にしすぎとか幻聴って言い出す)

人に優しくと言いながら私には阿呆みたいに厳しい。親が子供に厳しくするのはとかそういう話以前に、人様を敬うためならどんな矛盾でも行使する。言動バラバラなんですよ。

これでポジティブ嫌いにならないならそれはただの無神経だと思っている。

私はもうテレビも見れないし音楽も歌詞があると嫌で見れないし、今もインターネットで体調不良の原因を検索して出てきた「前向き」って単語にイライラしてる。

ここまでありふれた言葉を嫌わなきゃいけなくなったのは自分でも悲惨だと思う。だけど人格否定で使われるような言葉を好きになれる人なんているものなんだろうか。