ごわごわした気持ちの捨て場所

発達障害者の遺言、黄色のシャツが嫌い

タイムスリップ現象がしんどい

今夜、半年ほど前に30万ほど貸した相手が身勝手にキレて勝手に熟睡し、逆ギレしていたことを思い出し胃が痛む。当日には破けたかと思うほど激痛だった。

おまけに飛行機で実家まで帰りましたアピールをTwitterに披露してる始末だ。本当に女糞。

 

このフラッシュバックの負担を思うと詫びの金があっても足りなく思う。本当にあの高校に行くんじゃなかった。

 

情けやルールをただのマニュアルにしている自称博愛主義者というものは目の前の相手はお構いなしなのでいつも誰より冷酷だ。

金を借りたのにこのトラブルによる怒りを伝えればそっちの問題でしょで終わらせるのだ。

 

私は不快な感情で出来た記憶を残しやすい。他人への怒りや憎しみ、悲しみだけでなく、自分の失敗や恥まで記憶を残している。

 

人には自分の失敗や恥の記憶まで残っている話はしたことがない。それは聞かれたくないからだ。小学校の性知識のなさや、傷つける言葉を言ってしまったことがよく記憶されている。

 

断罪したい感情の裏で、自らが常に罪人のようであり、常に償いを求めながらも、償い方があまりにもわからず、積み重なった人への恐怖と恨みが私を縛っているのだろうか。

 

私は誰も許したくないのだ。それが私の世界への復讐のようで、己への自傷という自己完結のようで、私は何をしたいのだろうと自分に問う。

 

すると私は「何もしたくない、というより何もおきてほしくはなかった」と答えるのだ。

 

傷つくくらいなら人と関わりたくはなかったし、こんなに忘れられないなら経験なんて何一つ私は欲しくなんてなかった。

 

世界には無数のものが存在するが、

私にはわかってくれる一人がいたら、

それだけで終わりたかったのだ。